ご覧のアンティークは、19世紀初頭、近代西洋タイル黎明期の「瀬戸本業敷瓦」という国産のタイルである。私が脱サラして大阪に事務所を構えた頃、西天満のアメリカ領事館裏にある骨董街のアンティークショップで、偶然見つけたものだ。確か、1枚50円で、2枚あったのを手に入れた。
 ところで、日本には"タイル"と呼べるものがあったのだろうか。実は、なまこ壁に使われている腰瓦、茶会の席で釜の下に敷かれている釜敷、敷瓦などが、タイル以前の"日本のタイル"と考えられている。カタカナのタイルの歴史は80年ほどしかない。大正11年、平和記念東京博覧会の業者大会の時、腰瓦、敷瓦から生まれた30種類ほどの様々な製品の名前をタイルという名称に統一したという。戦後、昭和30年代にモザイクタイルのブームがおきたが、その後、住宅の洋風化とともに単なる建材の一部となった。
 日本にタイルのルーツが入ってきたのは6世紀の頃。すなわち仏教伝来とともに、中国大陸から瓦と一緒に渡来したのだ。わが国で仏教建築が花開くのが7世紀後半の白鳳時代。以来、多様化した"日本のタイル"は様々な名称で呼ばれながら、社寺、禅宗建築に使われ、大陸文化の意匠として建物を飾ってきた。
 建築材料としての様々な瓦が、一段と進化するのは、茶道文化に取り入れられた室町時代中期からだ。茶の道を開拓した村田珠光、そして絢爛豪華な桃山時代に、侘寂の新天地を開いた千利休、さらに茶道を発展させた古田織部などの一期一会の茶会に釜敷、敷瓦が用いられる。単なる瓦であった陶磁器の小片は、絵付けされ、上薬がかけられ、茶道具として変わっていった。この頃伝来したキリシタン文化にも影響されているという。天草ではキリシタンによる陶板が焼かれたらしい。
 時は移ろい、江戸時代。愛知県瀬戸地方と兵庫県淡路地方に、瓦の二大産地が形成され、敷瓦をはじめとする日本のタイルが作られた。名称の瀬戸本業敷瓦の「本業」とは、17世紀に創業した連房式登窯で焼成されたことを指している。幕末から明治にかけ、文明開化とともに西洋建築材料としてのレンガとタイルが大量生産されていく。
 足元に転がっていた2枚のタイルとの出会いは、やきものの歴史や日本建築の成り立ちに興味を持っていた私を、また、新たなジャンルの研究の虜にさせた。

#002●近代西洋タイル黎明期の「瀬戸本業敷瓦」